Resonance Field

Drummer 古川”カルロス”日呂之 のブログ

私のスピリチュアルな宗教観

あまり皆話したがらない、私個人の宗教観を備忘録も兼ねて書いてみます。

「信じるから神は存在する」
「人間は創造主の一部で出来てる。つまり、全能、完全な創造主自身である」
「人間は神々の素晴らしさを表現して、神々の世界の素晴らしさを神々に見せてあげるために生きている。」
「全てのものは、創造主と同じもので出来ていて深い部分で繋がっている。悟りとは差取りである。」
「人間界にも人格というものがあるように、霊界にも”霊格”がある。また、意識の世界にも次元があり高次元の意識にも感知できないさらに高次元がある」

みたいなことを、中学生の頃から無意識に考えながら探究していました。

私の母方の祖母の兄妹には二人の真言密教の僧侶が居たらしく、ある人に言わせれば「血だよ」って事です。会ったこともないんですけど💦確かに血は繋がってますものね。

つまり、私たちはすでに完全な存在で、在ると信じるものは各人の現実の中に存在します。

だから、全ての宗教は真実だと思っています。ただし、信じている人にとってです。

つまり、固く信じることでそれらの存在を創造しているのは、実は人間だと確信しています。

だから、サタンもそれを信じる人にとっては実在します。

唯一神も、信じる人にとっては唯一の神でしょう。

地獄や天国も信じる人にとっては実在し、信じない人には実在しません。

罪に対して罰を与える神を信じる人には罪に対して罰が与えられます。

罪を信じない人にとっては、罪は存在しません。

宇宙はシンプルな道理や法則が全ての人の現実に作用していて、「信じるモノが実在する」「放ったエネルギーをそのまま自分が受け取る」という法則に全て当てはまるのだと思います。

優劣も正邪も善悪も、全て人間が定めて具現化した概念であり、宇宙の意識体のルールとしては「自由への介入」だけが許されないということです。

人間が現世(三次元)で生み出した概念を取り除いた純粋なエネルギーは、魂レベルでは無条件で全ての魂に受け入れられるもので、私たちは無限のエネルギーを受け取り放出する力が本来はあると、”私は”信じています。

「神に対する冒涜」という表現がありますが、自分が創造し生み出した存在よりも低い位置に自分を置き、自分自身の完全な霊性を貶めることこそ創造神を冒涜する事なのかなぁと最近思えてきました。

最も波動を下げる要因は恐怖、不安だそうです。

罪や罰といった概念を持ち続けると、結果として本来の自分(完全なる創造主の分身)からどんどん遠ざかっていくのだと少しずつ感覚的に思えるようになってきました。

だから、全ての宗教を信じますが、その何処にも身を置かない事を決めています。

人格を持ったような神は実在すると思いますが、神々の中でも霊格は低い方だと思います。

つまり、自分のテリトリーに人を繋ぎ止めようとしたり、契約を結んだりする神は、限りなく人間に近い次元の神であると思うしかありませんよね。
それが原因で正義や大義といった概念が生まれ、異端とか異教徒とかいった概念が生まれます。

何かの特定の信仰を持った方々からすると、とんでもない考えだと思いますが、その「とんでもない」と思わされている恐怖からも、自分を解放する時代に突入したのだと現時点では”私は”確信しています。

それぞれの人の現実と自由を最大限尊重しつつ、「自分の現実」からは一切のリミット、タブーを排除していく事こそ「自分軸」なのかなぁ…と。

個人的に色々試してみてるので、何か朗報があればご報告します。