Resonance Field

Drummer 古川”カルロス”日呂之 のブログ

「和」の本質

私がつい数年前までスピリチュアルが苦手、嫌いだった理由は、特定の宗教観に基づいた表現がなされているものがとにかく苦手で、何かしらのミスリード、勧誘を感じていたからだと思います。

しかし、今盛んに解かれているスピリチュアルは、太古から伝承されるアニミズム的な宇宙観や自然観、人間の人生観、死生観と何ら矛盾も齟齬もないことを確認できます。

最近特に言われる古来からの日本人特有の感性は、正に霊的な感受性を示しており、そうした高次元由来の感性を指して「特別な感性、特別な民族」などと表現されているように思います。

万物に神を見出し、どんな些細な行動や仕草、仕事や趣味に至るまで神に通じる道を見出す感性は、スピリチュアル以外の何ものでもありません。

人間の持つ霊性、神性を「スピリチュアル」という単語で示すのが嫌いなだけかもしれません。

一時期は、無責任なお花畑系の自意識過剰、思い込み過剰なスピが横行したのもスピ系を避ける原因となったのも事実だと思います。

毎分毎秒、私たちが常に思考することを止められない、その「意識」そのものがスピリチュアルです。

自分の日常で、毎日起こること、体験することの視点を変えるだけで、我々が当たり前に持っている「創造力」を知ることができます。

「心に残るいい言葉」や、先人たちの残した「格言」や「名言」は、体験や経験を通して垣間見た私たちが持つ「霊性」や「霊的なエネルギーの及ぼす作用」などを指摘したものだと思います。

私たちが日常の会話で何の疑問も持たずに使う表現、
「空気を読む」「同調圧力」「ポジティブ思考」「ネガティブ思考」「感情」「波長が合う、合わない」などは、全て魂レベルのエネルギーの働きや影響を直接指し示しています。

全て「スピリチュアル」な現象です。

それらのエネルギーの発生源は全て「自分自身」であることに気づくことが「覚醒」であると確信しつつあります。

そして、さまざまな洗脳や勝手な思い込みで自ら切り離した本当の自分、
「魂」「本心良心」「本音」「直霊の御霊」「ハイヤーセルフ」の存在を思い出し再統合することが「悟り」「解脱」「覚醒」「次元上昇」etc…と表現される状態だと思います。

つまり、我々が「支配」や「洗脳」、「扇動」や「ミスリード」などと呼ぶ罠の目的は、我々の意識を三次元に縛り付け、全ての人が必ず持っている魂との繋がりを断絶することに終始していることに気づくべきだと思います。

そう思うと、三次元視点からのみ高次元を見る視点を植え付ける伝統的な宗教や、本来魂と繋がっている状態がデフォルトにも関わらず、それをとても稀なことのように刷り込む伝統的な宗教や哲学、物質界にのみ焦点を合わせ、誰でも再現可能で可視化可能な現象のみ扱う科学など、全てが真実から我々を遠ざける「罠」であると思えてきます。

シュタイナーが指摘するように、霊的な体験は三次元世界の誰とも共有することは出来ません。指し示すことはできても、本人が自ら体験した体験そのもののみがホンモノであり、表現したり指し示したりできてもその体験を共有することができない限り、「証明」する事は不可能であるという結論は変えようがありません。

しかしながら、同じ体験、近い体験をした者同士であれば、指し示すことも、証明することも必要がなく、ストレートに「共感」出来るのだと思います。

それが理屈を超えた「和」の本質だと思います。

 

日本人は薄れてきてはいるものの、これらの本来の人間の持つ能力を文化としてギリギリ継承しているのだと思います。

これらの能力は人間の本質であり、全世界、全人類共通のものであると確信しています。

世界中どこの地域にも、ネイティブの間では同じようなアニミズム信仰が在りました。

人々を改宗させ、その後植民地化した歴史がそれを示していると思います。

日本人が特別なのではなく、幸いにもその影響をギリギリのところで逃れてきたのだと思います。

そうした日本人の特色に気付き、それを指摘する人は外国の方々の方が多いような気さえします。

それは、本質的に全人類共通の資質であるからだと私は思います。