Resonance Field

Drummer 古川”カルロス”日呂之 のブログ

心のバランスを保つための、大きな声の独り言です。

正々堂々と、表裏無く生きていきたい。
それだけです。

思ってることをそのまま表現するだけ。

素朴におかしいと思うことをおかしいと公然と言うだけです。

コソコソするのが嫌いだから。

それが完全に出来てるか断言はできません。でも、そんな風に在りたい。

それで自分の間違いや認知のズレが発覚すれば、謝罪して訂正する覚悟もあります。

その覚悟がなければ、自分が正しいと思う意見も周りの様子を伺って常に後出しジャンケンみたいになるし、でなければついに表現することなく人生終わっちゃいます。

子供の頃や若い頃は「誰も僕の本当の気持ちをわかってくれない」と思っていた時期も当然ありましたし、自分の意見に自信がなくて、本音を言えない時期も長くありました。

だからこそ、「わかってもらいたいなら表現しなきゃ。」と努力するわけです。

こんな簡単なことに気づいたのもだいぶ遅かったかも。

自分の尊厳が大切だから、当然他人の尊厳も最大限尊重します。

でも、公共の場で「社会の窓」が開いてたら「開いてるよ!」と伝えます。

自分の傷に気付かない人がいたら、「血が出てるよ」と伝えます。

時にはケチャップと血を見間違う事だってあります。
「ケチャップだよ」って教えてもらえれば、それを「いいや!それは血だ‼️」などと言うほど野暮ではありません。

それをして「恥をかかされた」「プライドを傷つけられた」と思う人の心は、私にはどうしようもありません。

空気を読むことも知ってます。

場合によっては、自分も含めてみんながハッピーになるんなら「忖度」する事もやぶさかではありません。

立場を逆さまにすると、私からの問いかけに対してどっちとも取れる返事が返ってきた場合や返事がない場合、無視された場合なども、その態度で相手の返答をこちらで勝手に判断する事もしたくないのが正直なところです。

返事がない、無視される事に対しては、人として社会人として、プロとして、その「行為」に対して腹を立てます。

だからと言って「どうせこんなふうに考えてるとやろ」とか、「それが答えか……」などと、表現すらされていない相手の気持ちや返答を勝手に判断することは無理です。「そんな事をする理由がわからない。」の一点です。

当然私も、判断、決心しかねて、また、私一人の意見で返答できない時など、返答を保留することもありますが、必ず意志表明します。

ハッキリと意志を勇気を持って表現した事に対して、その返答が期待してたものと違っても腹を立てることはありません。相手の意思を最大限尊重します。

無視、無返答は、私の中では永遠に「保留」です。

それが先方の「魂の自由と尊厳を尊重する」事だと考えているからです。

上手く表現できたかな……

なんか違ってたら訂正して書き直します。