私は、この言葉を座右の銘のように思っています。
近年、習うのが上手な若い人たちが多いですよね。あらゆるジャンルで「教えること」を生業にしている人も昔より多いと感じます。
「準備が出来たところに師は訪れる」
この場合の「師」とは、人とは限りません。
知識を重んじる社会ではありますが、その知識が本当の意味での智慧となり、腑に落ちて自分のものとなるには、やはり「気づき」が必要だと思います。
今まで頭では知識として知ってはいたけど、あらゆる経験を通して「なるほど…」本当の意味はこういうことか。と、完全に納得した経験が誰にでもあると思います。
そのきっかけは、他人の行いや自然現象、あらゆる出来事や、ふと目にした景色。痛みや快楽などの五感であったり、様々です。
決して事細かに説明してくれる先生と呼ばれる人とは限りません。
つまり、本当に答えを欲した時、また、期待した答え以外でも受け入れる心の準備が出来た時、目にするあらゆる現象や身に降りかかるあらゆる体験が「師」となる。という意味です。
答えなんかない問題の方が多い実社会ですが、自分が自分の意思で責任を持って授かった命の人生を全うする上で、自問自答する答えは本当にそれを理解できるレベルに達し、心から答えを望んだ時にあらゆる事象が「師」となりうる事を表現した言葉です。
つまり、教える立場でも実感するのですが、最終的には本人がある種の「気づき」を通して悟るまでは、単に教えた事、教わった事は身にならないとつくづく思うのです。
肝に銘じて今後の人生も自問自答し続けようと思います。