Resonance Field

Drummer 古川”カルロス”日呂之 のブログ

備忘録

たまたまあるところで音楽における「表現」という事を真剣に書いている仲間がいたので、自分の考えを忘れないように、自戒を込めてこちらに移しておこうと思います。

表現に関して、日本には古くから信仰があります。

総じて古神道などと呼ばれますが、各地域の土着の信仰のまとめみたいなものなので、その呼称はどうでもいいのですが、人間は直霊の御魂(なおひのみたま)と呼ばれるものが中心にありそれは創造神の一部分とされます。 つまり、私たち自身が神と同じもので出来ており、授かった御魂(命)を人生を通して磨くことが宿命とされます。

何のために?神々の世界の鏡が現世(うつしよ=写し世)であり、神々の世界の素晴らしさを現世で表現することが神々から与えられた人生における命題であるわけです。

では、どのような方法でそれを表現するのか?即ち「生き様」こそが表現そのものです。

他人の事より自分自身が授かった御魂を如何に磨き上げ、本来の神々のポテンシャルに近づくかが命題なわけです。

だから、古来日本ではどんな道も極めれば神々の魂が宿ると信じられて来たと思います。

芸術に限らず、それが土木工事であれ、料理であれ、鍋の修理であれ、トイレの掃除であれ、すべての行い、仕事に魂を込めれば神々が宿り、人はそれを「芸術的」と呼びます。

音楽とは、最低限の技術は必要ですが、どんな音を出しても「生き様」がにじみ出てしまいます。

で、音楽を聴きに来る人は演奏する人の「生き様」に触れに来るんです。

音楽に感動するのではなく、彼の生き様に共感し励まされ、感動し、勇気付けられ、そして、自分自身の表現=「生き様」にそれを反映することこそに意味があると思っています。

これをインスパイアなどというんでしょうか.........どれだけ他人に共感を呼び、どれだけ他人を感動させられるかは、こざかしい技術やテクニック、小細工ではなく、生涯を通して貫かれる「生き様」でしかありません。

すべての人が直霊の御魂を授かって生きているとしたら、本来自分と他人を区別することが難しくなります。実際、脳はそのように働きます。

敵を作るというのは、自分の一部分を忌み嫌うことに通じます。

自分一人がこの世に生を受けるためには、これまで何万人もの血が、一度も途絶えずに繋がっていること。そして、その何万人ものご先祖様の一人でも欠けていたら自分はこの世に居ないこと。更には、その何万人ものご先祖様の中には、偉い人も、極悪人も、詐欺師も、怠け者も、働き者も、天才も、愚か者も、いろんな人が必ずいたし、その血を漏れなく受け継いでいるので、嫌な奴、嫌いな奴と出くわしたら自分の中にも持っている一部分の表現者だと思えば、それを自制して魂を磨くことにより一層精を出す事が理にかなった生き様であり、それが自ずと音になって現れるのが音楽だと僕は信じています。

一途に生き様を磨きながら音を出す時も魂から響かせる。これしかないと僕は信じています。