明るければ明るいほど影は濃くなります。
人の心も同じで、光の部分が明るいほど影も濃くなるってのがどうやら宇宙の理のようです。
当然、僕の心や人格にも「光と影」両方が常にセットで存在します。
普段明るい分影はめっちゃ濃いですよ😝
意識の次元上昇を試みる際に、さまざまなネガティブ要素を「手放しする」って課題があります。
何でもポジティブが良いと思い込んで、影を否定したり無かったことにしたりして、無理に明るく振る舞うと、当然影も濃くなります。
自分の心の闇に嫌悪して、「闇の部分が消しても消せない自分の本質」だと思い込んじゃった人が、周りから「良い人」って思われてる人の心の闇を暴きたがります。
「ほら、この人も本質は闇だよ」
と、証明して安心したいんでしょね…
その本人も十分たくさんの人達から愛されて、明るくて好かれてるのに……
どんなに振り払っても消えない自分の「影」から意識を外すことが出来ず、部屋で一人きりになった時に自己嫌悪で苦しんじゃうんでしょうね……
で、そっち(闇)ばっか見ちゃって周りの人たちが影の部分をどんな風に処理してるかわからないものだから、「良い人」の闇を暴露して安心するんだと思います。
知らんけど😝
影は常に誰にでも付きまとって、絶対に無くしたり引き剥がしたりすることは出来ませんよね。
心や人格の影も同じ理屈です。
「ネガティブ要素を手放す」というのは、自分の影に執着することを手放す事しかできません。
だから、それを自分で認めて受け入れるだけなんですけどね……
「良い人」が影を人前で見せないことに不信感を持って人間不信になっちゃう人が居ます。
だから、闇の部分が前面に出ちゃってる人しか信用できなくなり、結果そんな人の人間関係はめちゃめちゃ波動の重たい人ばかりになっちゃいますね……
私も自分が良い人だなんて思った事ないし、自分の深い深い闇が嫌いだから頑張って闇の波動を他人に移さないように周りの人を明るく照らす事を意識して努力するわけです。
ダークサイド カルロスの存在を嫌というほど認めて受け入れて、それを知ってるから自分の闇は自分の闇として出来るだけそれを投影しないようにしてます。
私の闇は私のものであり、誰のせいでもなく自分が生み出したもの……ってか、影だから輝けば輝くほど濃くなるのは当たり前だと受け入れてるだけです。
自分の影に怯えてそれを嫌悪する執着から逃れられない人は、私の影や闇を引っ張り出して見えるようにしたいんでしょうね。
その闇が深ければ深いほど、自分のものと比較して安心するのだと思います。
別に影を隠そうと思った事ないし、どのくらい深い闇を持ってるか、いつでも誰にでも話すこと出来るし。
私の闇を引っ張り出して見えるようにしたい人が、いろんな形で私を挑発して「みんなの前でわざと無視するとか」小学生のイジメみたいなことして私を怒らせたところで、そんなチンケな闇、私自身が持っている深く深く恐ろしいほどにダークな闇に比べれば、ピコピコハンマーで殴って怒らせようとするに等しいレベルですよ😝
いろんなこと仕掛けて、僕から引き出した僕の闇だとその人が思って見てるものは、「自分自身の影の鏡写し」に過ぎない事を知るべきです。
僕の影と闇は、そんな優しいもんじゃないですよ😈
自分の目から見える外の世界は、全て自分の心の内の鏡写しでしかありません。
スピリチュアル的に言うと、「環境や現実は心の中にしか存在しない」ってのが事実です。(ちょっとわかりにくいかもですね)
昔から現世のことを「現世(うつしよ)」=「写し世」と言いますが、これは例えではなく昔の人は真理を知ってたんですね。
いろんな方向でこの言葉の持つ真理を説明できますが、見える景色、対人関係、他人が自分に接する態度全て、自分の心の鏡写しってことです。
そして鏡(かがみ)に映ったものから、我(が)を差し引いたものが神(かみ)ですよ。
自分の闇を他人のせいにして、他人に投影しても自分の内側から闇は絶対に消えません。
投影してそれを事細かに観察したところで、執着と集中が自分の闇に対して高まっちゃうので、心の闇もさらに深まり、さらに光の部分が自分でも見えなくなっちゃいますよ。
在って当たり前、放っておいても必ず着いてくる、光で照らせば濃くなるのが影です。
だから心配しなくて大丈夫です。
ムキになって暴かなくても、私自身恐ろしいほどダークで深い闇を常に抱えてるのは隠しもしないし、否定もしないし、嫌っていうほど知ってるし、認めてるし、受け入れてます。それも含めなきゃ自分じゃないですもの。
ただ、在って当たり前過ぎて、普段「ダークサイド カルロスくん」を取り立てて意識しないだけです。無視しようともしてないです。
影だからいつもピッタリくっついてますもの。
これが意識の次元上昇のコツです。
自分に対する「ジャッジ」を手放しちゃいましょう😁